WWCTUから破門された背景

日本キリスト教婦人矯風会は、世界女子キリスト教節制会(World Woman’s
Christian Temperance Union, WWCTU)を母体として1886年に設立された。一方で朝鮮基督教女子節制会も同母体として1923年に設立された。母体を同じくしながら、後に両者は相反する。

WWCTUの理念でもある平和・純潔・禁酒を掲げ活動してきた。しかし時代の流れから次第に齟齬が生じるようになる。

例えば矯風会の場合はWW2の敗戦後、戦争を阻止できなかった怠りと無力について懺悔する。禁酒といった個人倫理から、より社会政治的倫理に基づいて活動するようになる。

1970年代に入ると、買春や慰安婦問題に強い関心を示すようになる。同問題を韓国内で政府に働きかけを行っていた韓国協会女性連合会と連携を深めるようになった。

更に1971年には禁酒を酒害防止と改め、更に1984年には煙草も加えられた。これは個人的倫理に基づく禁酒より、酒害という社会的倫理にフォーカスした結果である。

このような背景から、2000年代に矯風会はWWCTUから破門される。