90年代の宣教理念

90年代頃の矯風会は社会的責任を自覚し、社会倫理的平和運動を行い、政治的矯風を試みた時期だった。

特に日本の戦争責任から生じる補償を求める活動が活発だった。1990年、海部総理へ書簡を送付。慰安婦に対する連行の事実を認め慰霊碑建立や公式謝罪と補償、歴史教育を求めた。

1991年、宮沢総理へ抗議書を送付。翌年、要請書を送付。国会が戦争責任による謝罪を行い、損害に対し補償を行う決議をするよう要請。植民地支配下の蛮行を謝罪し補償を求めた。

また並行して外国人登録法の抜本的改正についても取り組んだ。

この頃の宣教理念は三位一体において展開されるべきとしている。そして真理を独占しているかのごとく優越的な、宣教の主体たる立場を守ることに熱心な教会の姿勢を問題とした。どういうことかというと、

聖霊によって導かれる宣教は、中心から周辺に向かう運動ではなく、辺境、周辺に追いやられたものから福音の真実の証しがなされるゆえに、辺境の状況に耳を傾けなければならない。

という考えが基盤にあったからだ。聖霊の働きとしての宣教は、博愛の精神やヒューマニズムの共感によって展開されるべきでないという認識があった。