無意識下で選択肢を選ばない機能
都内女性が監禁の上殺害された疑惑の事件で、発見場所が被疑者の別荘だったんだけど、この書き込みに『ほんとそう』ってなっちゃった
— のあーる@超現実派Vtuber (@NoirAsmr) 2022年6月19日
真っ当に生きる、それって色んな我慢や努力の積み重ねだからね
えらいんよ pic.twitter.com/dhMYiQfvfM
このツイートを見て、別のツイートを思い出した。
何年も前のことをずっと根に持っている人に「忘れた方が楽だ」とか「普通はそんなに怒りが続かない」とか糞みたいなアドバイスするんじゃなくて「そんなに怒っているのに相手を殴らないし殺さなかったの!?えらい!!カニクリームコロッケ買ってあげる!」って言える人と友達になりたいと思うんです。
— じゅんじゅん (@JJ_bone) 2017年5月11日
「そんなに怒っているのに相手を殴らないし殺さなかったの!?えらい!!」という発想は一見からかい半分で言っているかのように思えるが、倫理や理性という観点から示唆に富んでいて、最初のツイートがその答えになっていると思う。
人間は常に何かしらの判断をしている。無意識であることの方が圧倒的に多いと思う。例えばカッとなった時、その人は無数の選択肢があるはずだ。感情を抑圧したりその場で泣き出す、また反論を試みたり、最悪の場合は殴ったり殺してしまうという選択肢だ。
どのように反論するか、どのように殴るか、どのように殺すか。この中でも更に無数の選択肢が存在しているはずだ。人間は根源的にその全ての行動を起こすことができる。
ここで人間は実際に行動が表出するが、それは能動的に選んだものではなく、それ以外全ての選択肢を選ばないことで残った行動が表出しているのだ。選ばないという操作が無意識下で行われている。
これは一般に理性と呼ばれるものであると考えている。
理性が正常に機能しないと、いくつかの選択肢が同時に表出してしまうことになる。その人は精神錯乱状態、心神耗弱状態であると判定されるだろう。
最初のツイートに戻るが、49年間も真っ当に生きているということ。これは理性が正常に働き続けているということが言える。立派である。