親切なつもりだった。
心配しているつもりだった。
相手のためを思って、助言したつもりだった。
それなのに、相手が従わないと腹が立つ。拒否されると傷つく。自分抜きで決められると、ないがしろにされたように感じる。
ソフト・ミソジニストの心中は、差し詰めこんな感じなのではないか。
この心の動きを見てみると、そこには、男女論の文脈以前に、他者受容の文脈で考えた方がいい問題が潜んでいるのが見えてくる。
相手が自分と違う判断をすること。
自分の善意を歓迎しないこと。
自分が正しいと思うやり方を選ばないこと。
そういう「他者性」にうまく耐えられない。
あなたが腹を立てているのは、たぶんいつも「相手が間違っているから」だけではない。
相手があなたの正しさを採用しないこと、あなたの善意を歓迎しないこと、あなたの出番を断ることに、あなたはじつは深く傷ついている。
そしてその傷つきをそのまま感じることができなくて、「だから相手を導かなければ」「ちゃんと教えなければ」「自分が管理しなければ」と誤変換している。
あなたはたしかに差別主義者ではない。
むしろ、自分でそう思っているように、「誠実で責任感のある人間」なんだろう。
だが、相手のためを思っていることと、相手を対等に扱っていることは別のことなのである。