河瀨直美氏の祝辞の本質

映画作家の河瀨直美氏が東京大学学部入学式で祝辞を述べた。これが物議を醸している。以下の部分がそれだ。

例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。

ウクライナ国民が死傷しているのを目の当たりにしている。しかし映像の殆どはウクライナや西側メディアのものだ。日本をはじめ世界の国会でウクライナ大統領は演説したが、ロシア大統領の演説は未だ無い。一方側からの情報だけで物事を判断してよいのだろうか。

世界では今でも戦争や紛争が絶えない。今次ロシアウクライナ戦争もそのひとつだ。戦争や紛争は互いに譲れぬものがあるから起きてしまう。どちらかに肩入れするのではなく、一歩引いて両者の言い分を冷静に分析しよう。

その上で、自らが進んでその当事者になってしまう可能性もあることを忘れてはいけない。常に心に留め、自制心を持とう―――

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最高学府の頂点たる東京大学の入学式という状況において、素晴らしい祝辞である。俗世間の常識に囚われず俯瞰して物事を見ることができる選ばれし者への祝辞である。まさにエリートしぐさ。