真正と不真正の違い

法律で真正とは「本来想定されている形式通り」の意味。構成要件が不作為で定められている犯罪が実現されたものを真正不作為犯という。作為で定められている場合は(あえて言うなら)真正作為犯ということになる。

(保護責任者遺棄等)第218
老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、3月以上5年以下の懲役に処する。

主に置き去り等を想定して、生存に必要な保護をしなかったという不作為が規定されている。その通りに遺棄すれば、不作為が実行されたとして真正不作為が成立する。

一方で不真正という概念がある。これは「本来想定されていない形式」の意味。構成要件が作為で定められている犯罪が不作為によって実現されたものを不真正不作為犯という。不作為で定められている犯罪が作為によって実現された場合は(あえて言うなら)不真正作為犯ということになる。

ただ「本来想定されていない形式」なので、罪刑法定主義の観点から問題がある。例えば殺人罪は次のように記述されている。

(殺人)第199条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

人を殺すとは、ナイフで刺したり、毒を飲ませるといった能動的な作為が想定されている。しかし乳児に食事を与えず餓死させる等の行動は、実行行為としては不作為にも関わらず結果はナイフを用いた場合と同じである。これを結果無価値論的に適用しようとするので、慎重な判断が必要なのである。そこで、

  • 法的な作為義務があった
  • 作為の可能性・容易性があった

これらを満たす場合に適用することとしたのである。作為義務とは結果を防止する義務のことで、対象者としては管理者や保護者が考えられる。また可能性・容易性とは、できるのにやらなかった、やることが困難だった、といった場合を考慮するものである。