耳の痛い自戒の言葉(1)
そういえば父。『教養を意識して身に付けなさい』と口煩く言うので理由を尋ねると『教養がないと冗談のレパートリーが、セクハラとパワハラと下ネタだけになる』と言われ、おーっとなった。具体的な方法を聞くと『好きなものを見つけろ、あと好きなものに囲まれている人と繋がれ』と言われ更に納得。
— わかめ (@senseiwakame) 2022年1月18日
教養って何だろう、というところから考えさせられる。直感的に思いつく教養とは、音楽(特にクラシック)や美術といった芸術や、文学などもそう。学位でいうとアート(Artificial)で一括にできるかも。
昔、だいたい中世ヨーロッパに教養という言葉が多いように思う。貴族とか。貴族の教養というとマナーがまず思い浮かぶ。
しかし一方で自然科学系もある。ライプニッツは外交官でありながら哲学や数学に精通し、法学や力学、論理学にも実績がある。当時の自然科学系教養者は分野横断的な人が多い。
つまるところ、教養とは全てなんだと思う。教養を身に付けよと言われたら、やるべきことは自分の知らないことを知っていくことだと思う。そして自分の知っていることが世界の全てではないことを自覚して、どんなことでも敬意を以て理解しようとする。
教養があると冗談の引き出しが多くなるし、誰かに知らないことを言われてもどう考えていけばよいか道筋を立てられる。思考の方法論も教養のひとつだ。
【医療に限らずどの業種でも普遍】
— 上田 亮 (@dragonandphoeni) 2022年1月25日
なぜ同業者間で軽口言い合う人がプロとして信用できるのか:
①情報は雑談の中からインプットされる
②仲間がいる=知識がガラパゴス化しない・人柄/職業人としての実力等で認められていて孤立化していない
③プロとして間違いない仕事しているので虚勢を(続く https://t.co/bhfKzD6CUc
真の意味で余裕のある人ということ。先述のような教養も好循環で取り込んでいくことができる。
古いネットユーザーにありがちなんですけど「なに真剣になってんの、ダサいよ」という若き日の価値観が抜けきらないままなので、
— @ぷりめ (@prime46502218) 2022年2月27日
カメラが進歩して真に迫る記録が流通する時代にも「うっわ津波はやっwwwこれ死ぬだろwww」と「余裕をみせる」。これがクールだった時代にまだ生きている。
周りに似た人ばかり集まる(ついていけない人は離れる)ので、そこだけ2chか文科系サークルの部室みたいな空間になる。「真剣になったら負け」な場所。
— @ぷりめ (@prime46502218) 2022年2月27日
で、災害とか戦争とかですごく真剣な時代になったら「茶化す」以外のコミュニケーション方法をしらないのでふざけながら絡もうとする。います。
同業者の集団であっても、逆に悪循環の場合がある。知識や教養を身に付けられないばかりか、周りからの信用を失う。それを互いに補うために更に閉じこもってしまう。
価値観のアップデートができていないことが原因だと考えられる。