耳の痛い自戒の言葉(1)

教養って何だろう、というところから考えさせられる。直感的に思いつく教養とは、音楽(特にクラシック)や美術といった芸術や、文学などもそう。学位でいうとアート(Artificial)で一括にできるかも。

昔、だいたい中世ヨーロッパに教養という言葉が多いように思う。貴族とか。貴族の教養というとマナーがまず思い浮かぶ。

しかし一方で自然科学系もある。ライプニッツは外交官でありながら哲学や数学に精通し、法学や力学、論理学にも実績がある。当時の自然科学系教養者は分野横断的な人が多い。

つまるところ、教養とは全てなんだと思う。教養を身に付けよと言われたら、やるべきことは自分の知らないことを知っていくことだと思う。そして自分の知っていることが世界の全てではないことを自覚して、どんなことでも敬意を以て理解しようとする。

教養があると冗談の引き出しが多くなるし、誰かに知らないことを言われてもどう考えていけばよいか道筋を立てられる。思考の方法論も教養のひとつだ。

真の意味で余裕のある人ということ。先述のような教養も好循環で取り込んでいくことができる。

同業者の集団であっても、逆に悪循環の場合がある。知識や教養を身に付けられないばかりか、周りからの信用を失う。それを互いに補うために更に閉じこもってしまう。

価値観のアップデートができていないことが原因だと考えられる。